松尾 和典 講師
吸血性害虫であるサシバエは、家畜に強いストレスを与えるだけでなく、牛伝染性リンパ腫や牛ランピースキン病などの深刻な伝染病を媒介し、畜産業界に経済的被害を及ぼしています。防虫ネットや殺虫剤などの既存の防除法は、管理が不十分であると効果が薄れるほか、環境への影響や害虫の薬剤抵抗性が発達するなどの課題も抱えています。
これらの課題を解決すべく、九州大学の研究チームは、国内で初めて発見した在来天敵昆虫である寄生蜂「 キャメロンコガネコバチ」(以下キャメロン)を活用し、新たな生物的防除法を研究しています。
農家の労力軽減 薬剤抵抗性も安心
松尾先生がサシバエの生物的防除研究を始めたのは、2013年に香川県の家畜保健衛生所で、牛の血を吸い、牛伝染性リンパ腫等の病気を伝播するサシバエの問題に直面したことがきっかけです。これまでの寄生蜂研究の経験から、サシバエの天敵を探し2018年に福岡県で、キャメロンを発見しました。
調査により、キャメロンは全国に分布し、サシバエの蛹に寄生することでサシバエを駆除する効果があることを確認。今後は、大学発スタートアップ企業と協力して、キャメロンによる生物的防除技術の実用化を目指します。
現在のサシバエ対策は、殺虫剤や防虫ネットによるものが主流ですが、殺虫剤や昆虫成長制御剤(IGR剤)は発生源を探して散布する必要があり、また、防虫ネットは目詰まり清掃などの維持管理が面倒です。このキャメロンを使う天敵防除は、農家の労力がほとんどかからない点が大きなメリットです。キャメロンは適切な場所に放つだけで自らサシバエを駆除します。また、薬剤を使用しないので、薬剤抵抗性の心配もなく、環境負荷の低減にもつながります。
現在の研究では専用容器にキャメロンのサナギを入れ、堆肥のそばに据え置く方式を検討しています。サシバエのピークを作らない予防的な方法として、春から2週間ごとにサナギを補充する間隔で、牛1頭につき100匹が目安となります。サナギは両手一盛で1万匹ほどなので、牛100頭分に相当します。
社会実装への道筋
この研究では、将来的には次のような社会実装が想定されています。
1. 全国の畜産農家への「サシバエ対策キット」の提供
研究で開発される寄生蜂と専用放飼器をセットにした「生物的防除キット」を商品化し、全国の畜産農家へ安定的な供給を目指します。実現すれば、農家は堆肥場にキットを設置するだけで、サシバエ防除にかかる労力を大幅に軽減できます。
2. 伝染病清浄化によるブランド価値の向上
この防除対策の普及により、地域単位で牛伝染性リンパ腫などの疾病発生率低下が期待されます。これにより、「クリーンな環境で育った安全な家畜」として地域ブランドの価値が高まり、畜産物の市場競争力の強化につながります。
畜産分野全体へ技術の活用を拡大
松尾先生がJRA畜産振興事業に応募した理由は、充実した支援体制と十分な研究期間、予算規模が魅力だったからだといいます。今回は前回事業からの2度目の採択ですが、外部委員を含む事業推進委員会が組織され、牛や病気、天敵利用に詳しい3名の専門家が研究評価や助言を行っています。前回事業で、天敵昆虫の投入量や時期、場所などが手探りの中で、初年度から成功事例が生まれたことは大きな成果でした。野菜分野では、天敵利用による防除法も普及していますが、畜産分野においては天敵を自ら増殖させて、活用まで実現する点が高く評価されました。
松尾先生は今回のサシバエ対策を社会実装した後は、畜産分野全体での害虫問題にも応用したいと考えています。畜産害虫対策における農家負担軽減への貢献に期待がかかります。
事業名
畜産害虫サシバエの生物的防除対策事業
事業実施主体
国立大学法人 九州大学
上田 修司 准教授
食肉は傷みやすいため、フードロスが発生しやすく、高品質な国産食肉を海外に輸出する際にも鮮度保持が課題となります。そこで、食肉が傷むメカニズムを明らかにし、鮮度を長期間保持する―そんな研究が進んでいます。
神戸大学准教授の上田修司先生はJRA畜産振興事業「食肉産業を支える鮮度保持技術の開発事業」として、①非破壊で食肉の鮮度と成分変化を客観的・定量的に把握②食肉の汚染箇所や菌の分布を見える化③品質劣化のメカニズム解明とその抑制技術の開発―という3つのテーマを研究しています。
食肉産業の最重要課題を解決
上田先生は、2018年から神戸大学でメタボロミクスという解析手法を使い和牛を用いて、おいしさや香り成分を質量分析計で分析してきました。前回のJRA事業では、黒毛和牛の低需要部位、特にモモ肉のおいしさ成分の可視化や訴求技術の開発に取り組みました。
今回のJRA事業では、ハイパースペクトルカメラやこれまでの遺伝子解析から得られた知見も活用し、食肉産業の最重要課題である鮮度保持技術の開発を行います。スキンパック包装による賞味期限の延長や、部位ごとの特性に応じた鮮度保持技術の調整、微生物の可視化技術の開発に取り組んでいます。
食品の品質向上と国際競争力の強化
この研究で開発される技術は、将来的には次のような社会実装が想定されます。
1. 高付加価値食肉の輸出拡大
これまで鮮度保持が難しかった国産食肉の長距離・長期間のチルド(冷蔵)輸送が可能になります。これにより、冷凍品では伝えきれなかった本来の品質と風味を、海外の消費者に届けられ、輸出市場に新たな価値の創出が期待されます。
2. 小売り段階でのAIを活用した在庫管理
この研究で開発される非破壊分析システムを、小売店のバックヤードなどに導入することで、入荷した食肉の可食期間をAIが自動で予測・管理することができます。これにより科学的根拠に基づく最適な在庫管理が実現し、小売段階でのフードロスを大幅に削減できます。
3. 食肉処理施設の負担軽減
食肉処理施設では、衛生対策が大変重要です。開発中の微生物をリアルタイムに可視化する技術が確立すれば、汚染源をすぐに調べることができ、必要な場所を重点的に消毒するなど、作業効率の向上につながります。
これらを通じ、国産食肉の品質のさらなる安定化と、国際市場での競争力強化が図られると期待されます。
社会実装への道筋 明確にする仕組み
上田先生はJRA畜産振興事業に応募した理由について、社会実装のしやすさなど次の点を挙げます。
同事業の支援により大学の予算だけでは難しい高額な機器を使った研究や大規模なサンプリングが可能となり、小さな研究室でも大きな仕事ができています。
また同事業は、行政などとの連携がしやすい点も特徴です。事業推進委員会が設けられ、プロジェクト開始前に計画を提示し、畜産関係者などからコメントや評価を受けます。セミナー開催時や最終報告時にも意見をもらい、事業の意義や達成度について厳しく評価されます。
こうした委員会を通じて、自由な研究だけでなく、外部からの助言や指導を受けながら進めることで、本当に必要な課題や新たなアイデアを得ることができ、社会実装への道筋が明確になります。この仕組みは大変な面もありますが、研究の質向上や実用化に大きく貢献しています。
事業名
食肉産業を支える鮮度保持技術の開発事業
事業実施主体
国立大学法人 神戸大学
企画・制作/日本農業新聞 メディアプロモーション部
